ABOUT US

COMPANY

社名 株式会社 PANDAYA architecture
一級建築士事務所
代表取締役 山縣 健太郎
所在地 〒700-0026
岡山県岡山市北区奉還町2丁目5-6 
ラウレアM&F 602号
相談窓口 Tel.086-230-7272 
fax. 086-230-7292

HISTORY

2017 一級建築士事務所
PANDAYA architecture を
個人事業として設立
2020 株式会社 PANDAYA architecture
一級建築士事務所 に改組(法人化)
2020 山縣 健太郎 代表取締役 就任
2021 本社を現住所(奉還町2丁目)に移転

MESSAGE

私達は、高い技術力と真心を持っての対応で、常にお客様の満足と幸せを提供することを目指しています。
お客様のひとつの言葉や想いからプランやデザインを広げ、お互いの信頼関係に基づいて、
一緒にワクワクしながら新しい空間をつくっていきたいと考えています。

株式会社 PANDAYA architecture 
一級建築士事務所

代表取締役 一級建築士 山縣 健太郎

代表取締役 一級建築士  山縣 健太郎

PROFILE

1970
岡山市にて生まれる
1988
岡山朝日高校を卒業する
1994
名古屋大学工学部建築学科を卒業する
(建築計画を専攻)
1994~
(株)長谷工コーポレーションで
マンションの実施設計等を担当する
1997~
岡山市役所都市整備局で建築行政・住宅行政・
公共建築の設計・監理等を歴任する
2011~
地方独立行政法人岡山市立総合医療センター
にて岡山市立市民病院の設計・監理を担当する
2015~
岡山市役所都市整備局開発指導課
2017~
一級建築士事務所 PANDAYA architecture
を設立する
2020~
株式会社 PANDAYA architecture
一級建築士事務所 に改組(法人化)する
2022
岡山県建築士事務所協会 新人賞 奨励賞
(玉機プラントテックス株式会社様新社屋)受賞

建築のキャリアのほとんどを建築設計事務所で積んでいく中で、やっぱりお客様のお話をききながら一緒につくりあげていくことが好きなんだと再認識しています。
これまでの経験で木造住宅、クリニック、病院など、人に、そして生活に寄り添った建築を心がけることを大切にしています。

二級建築士 佐藤 麻紀

二級建築士  佐藤 麻紀

PROFILE

1973
広島県にて生まれる
1994
山陽学園短期大学生活学科生活造形専攻卒業
1995
山陽学園短期大学専攻科卒業
1995~
有限会社ケイ・エフ設計一級建築士事務所、
株式会社UNITA設計室、工務店勤務を経て
2024
株式会社PANDAYA architecture 
一級建築士事務所 入社

The Origin of PANDAYA Architecture Design
PANDAYA architecture
設計の原点というお話

 大学で建築計画を学んだ私が、卒業して最初に就職したのは準大手ゼネコンの現場監督でした。
 現場監督と言えば聞こえは良いですが、当時私が配属された現場は大規模な現場で、所長以下現場監督が9人いて、 私はその一番下っ端です。
 朝、暗いうちからお茶を沸かし、深夜になって現場の戸締りをして帰るまでの間、現場のありとあらゆる雑用、使い走り、 便所掃除にどぶ掃除、お茶だしから施主様用のヘルメット磨きまで、当然何でもやります。現場では先輩現場監督からの指示だけでなく、 職人さんの使い走りにもなります。職人さんからも先輩現場監督からも無線で呼ばれて、図面を現場事務所に取りに行って10階まで持って来いだの、 7階の仮設便所が詰まったからどうにかしろだの、型枠がばれてコンクリートがあふれているからすぐ片づけろだの、 ゴミのコンテナが一杯になっているからなんとかしろだのと呼ばれては走り、呼ばれては走り、本当にへとへとでした。
 夏場には脱水症状で血の小便がでます。
作業服なんて、ペンキにコンクリートに防水のシールにスプレーに泥に便所掃除の洗剤にといろんなものがへばりついて汚れの百貨店! どんな職人さんよりも、ひどく汚く汚れていました。
「この先輩をぶん殴って今日辞めようか?明日辞めようか?」「他の仕事でも社会人ってこんなに厳しいのかなぁ?」 「なんで俺ばっかりこんな目に合うんやろうか?」
「なんで大学を出てまでなんでこんなことを、せなあかんのやろうか?」 毎日が自問自答の繰り返しでした。
 ある日、夜遅くに施工図を書いていると、所長に怒鳴られました。
「明日は本部のお偉いさんが現場に来んねんぞ。屋上の片づけが出来てへんやないか。すぐ行って来んかいボケぇ!!」。
11階建てのマンションの屋上までヘッドライトをつけてとぼとぼと階段を上がりゴミ掃除をしに行きました。

この歳になると、社会人一年目でそれくらい厳しい中でやるのも人生経験として非常に良いことだと思いますが、当時の私には全く納得が出来ない事です。
いやいやながらもひとしきり片づけを終えて、ヘルメットを脱いで冷たい組まれたばかりの鉄筋の上に寝転がりました。
 そして眺めた真夜中の大阪の夜空が、今は完成しているマンションの屋上からの夜景が滲んで、目に染みました。
その後も汗と泥とペンキと生コンクリートとシーリング材と現場のゴミと糞尿にまみれた一年間が過ぎていきました。 24歳のときでした。

 しかし、今にして思えば、あの一年があるから今の私があるのだと思います。
 たったの一年ですが現場で見てきたものが、今でも図面を描いていると経験として生きています。 図面を描きながら建物の出来ていく様子をリアルに思い浮かべることができます。
 大学で建築計画の方法とデザインを学びました。そして設計はそれを生かすことだと思っていました。
 しかし、現場で泥にまみれて経験したことは、計画やデザインに魂を吹き込みます。理屈以上に体でわかっていることがあります。
 設計仲間の間では、現場を知っているとか知らないとかよく言いますが、テクニカルな部分は勉強していけば誰でも身につけていくことができるんだと思います。 しかし現場で泥にまみれた経験があるからこそ、職人さんになんとかしてよと言える部分、 何とかしてもらうことの大変さがわかった上で言えるからこそ価値があるのではないかと思うのです。
 そして、その後私は、そのゼネコンで設計部を経験させていただき、また、転職も経験し、いろんな形で建築に対して、設計に対して経験をつませていただきました。
 しかし、今でもあの一年が私の設計の原点だと思っていますし、大変貴重な経験を積ませてもらったことに今となっては感謝しています。